2011年に始めたぐんま100㎞ウォーク
2人で始めたものが10年で650人を超える申し込みとなった。
第1回は、7月の上旬の真夏日。群馬県のホームページからコースをプリントアウトし、ふたりで歩き始める。転職8回の私が脱サラし、この仕事で生きる覚悟を決めるため、完歩以外道はない。最高気温36℃。何度もコンビニ、自販機で給水。伊勢崎市に入った辺りで仲間がリタイヤ。その先は独りでゴールを目指す。途中、足の痛み、酷暑、疲労に加え、暗闇、睡魔といろんなものが心身を蝕む。太田市役所から桐生市役所までの緩やかな上りで完全に足が悲鳴をあげる。30分歩いて15分休むの繰り返し。松原橋の真ん中で、ここから飛び込めば楽になるかな、なんて余計なことを考える。真夜中の桐生市役所はライトに照らされて幻想的だった。このころから幻覚が始まる。誰かが道の向こうに隠れてる。ほとんどが髪の長い老婆。怖くて走りだしそうになる。50号後半は股ズレと肉刺で、赤の点滅が始まると横断歩道を渡れず。泣きそうになりながら歩いた先にゴールが見える。完歩というより、リタイヤしなかったことが嬉しかった。29時間30分。最初で最後の100㎞のはず、だった。
実は、一緒に歩くはずだった事務局長大野が直前にアキレス腱断裂のため、不参加。これが第2回をせざるを得なかった最も大きな要因。それと、柳井がウチの会社に入社してきた。これで大野と柳井に100㎞のしんどさと完歩の喜びを共有してもらう、はずだった。ところが、大野完歩するも、柳井は太田市役所56㎞でリタイヤ。
リベンジを賭けて第3回が開催される。サポーター役で参加するはずだった第3回。が、なぜか歩くことに。何も準備してこなかったので、心も身体も悲鳴を上げ、42㎞ガストで、足が硬直。残りの距離を考えたら心も折れる。初めてのリタイヤ。サポートカーに乗せてもらい、太田市役所に向かう。サポーターの有り難味を初めて知る。そのわずか数分後、土砂降りの雨となり、豪雨中断の発表をする。
そんなこんなで第4回は必然的に開催する羽目に。前年12月右ひざ前十字靭帯損傷の手術を受けリハビリ中の私はサポーターとして参加。この年、大野が親子参加。真夜中の72㎞桐生市役所で息子さんは完全にグロッキー。一本のポールを頼りに父が先導する。ラスト5㎞付近ではそのポールを息子さんが先導。中一になったばかりの息子と共に感動のゴール。この時初めてサポーターの醍醐味を味わう。この年、記念Tシャツを作成。20枚。
第5回は、一般公募。ホームページで募集を掛けたら、53名が集まる。ドローンが問題となったときで、県庁敷地内にはドローンを入れないという条件で空撮を許可。エイドなし、チェックポイントなし。というかそんなモノ知らなかった。要所要所にボランティアを配置。ゴール後、友人から差し入れの栄養ドリンクを完歩者にプレゼント。参加費3,000円。ゴールは盛り上がる。が、大会翌日、群馬県庁管財課から、今後このようなことをしたら直ちに警察に通報する、とお叱りの電話が入る。これでスタートゴールは県庁を使えなくなった。のぼり旗と騒ぎすぎが原因。
翌年第6回は、会場探しから始まる。前橋市役所スポーツ課に相談したところ、快く引き受けてくれた。参加者を集めるの苦労し、ネット広告を何度か掲載。ボランティアの参加も芳しくなく、124人集まった参加者をサポートすることが物理的に困難な状態となった。そんなとき、globeコーポレーションさんが助け舟を出してくれた。新入社員研修の一環としてボランティア参加してくれることになった。しかも13名。これで乗り切ることができた。はずだった。ところが、とんでもない高速ウォーカーが現れ、エイド開設時間を次々とぶち壊す。ゴールも開設が間に合わず。初めて荷物預かりサービスを導入。太田市役所56㎞と前橋市役所ゴールで受け渡しサービス。参加は124名。
第7回大会、群馬県住みます芸人アンカンミンカンに大会ゲストウォーカーとして参加してもらう。合わせて、九州からたろさんがゲストウォーカーとして来県。この年から前夜祭を開催。参加者、スタッフ、運営メンバー等との親睦を目的に催す。前夜祭から大粒の雨。当日も雨具なしでは歩けない状態。参加者が10人や20人そこらだったら即中止だ。開会式は急遽前橋市役所本庁舎内で行う。山本龍前橋市長から挨拶を賜る。245名参加。こんな土砂降りは後にも先にも第7回だけ。よくぞここまで参加者が集まったものだ。
第8回大会直前に、前橋市役所で記者会見を行い、アンカンミンカンに大会アンバサダーに就任してもらうことになった。記者会見ということもあって、前橋市長も出席。が、報道関係者は、数社のみ。361名が参加。集合写真の撮影に手間取り、5分遅れのスタート。顔なじみの参加者が増える。
第9回大会。参加者463名。前夜祭は、群馬県庁最上階32階のヴォレー・シーニュ。眼下の夜景を眺めながらのアルコー会。今まで参加者を集めるのに苦労したのがウソかのように募集開始早々ネット回線がパンク。募集人数400に対し、あっという間に募集人数を上回る。スイーパーを有志がしてくれた。散々運営を苦しめたアノ高速ウォーカーは、エイドウォーカーとして運営に協力。エイドポイント開設に余裕ができたのと、エイドウォーカー、スイーパー、リタイヤカーの協力で後方支援がスムーズにいった。後から聞いた話だが、コース上で出逢った二人が結婚。そんな出逢いもあるイベントになった。
第10回大会。記念Tシャツを7色揃えた。年々大量のごみの山。その解決策として、環境にやさしい大会を目指し、オリジナルシェラカップを作成。着々と準備は整っていった。が、2020年、新型コロナウィルスで状況が一変。開催に向けて準備を進めるも、3月31日緊急会議を開き、翌日エイプリルフールにも関わらず、1年の延期を発表。苦渋の決断だった。
そして迎えた2021年。コロナの収束は見えず、最終判断は4月4日の群馬県の警戒度に託した。当日の結果を踏まえ、開催を決定。ここから大会まで約1ケ月。準備に追われ、コロナの状況に最後の最後まで開催を悩み、精神的にボロボロ。が、開催を信じて待っていてくれる参加者、ボランティア、関係各位の想いが最後の決断に至りました。参加を辞退された方も多数。迷いに迷った判断に、参加の意思も正解、辞退の意志も正解なんだと思う。ゴンが着てたカズのユニフォームみたいに、辞退した参加者の想いを背負いながら当日は運営に当たった。今回ほど、ひとり一人が主役なんだと感じた大会はない。運営が支持しなくてもボランティアスタッフがそれぞれ自主的に考え動いているんです。今回ほど、チームぐんま100kmの一体感を感じたことはなかった。参加者、ボランティア、協賛企業、関係市町、コース上のコンビニ、コース周辺の住民、全国の応援してくれている方々、すべての方がベクトルを合わせた結果です。今回、いつものように応援、声援を送れない状況の中、我武者羅應援團に私たち実行委員の想いを応援動画という形で作ってもらいました。最後のメッセージを土砂降りのため流せませんでしたが、スタートはゴール、ゴールは新たなスタートなんです。そして、今回悔しい思いをした人に伝えたい、悔しかったらゴールするまで何度でも挑戦しろよ。
人生を変える10ヶ条
byザ・ノンフィクション
1 「繰り返し」こそが成功への第1歩
2 「大切な人」のために必死になる
3 すべてを失う「覚悟」で臨む
4 「応援してくれる人」の存在を知る
5 自分をごまかさない
6 ちゃんと叱ってくれる人を持つ
7 目の前の「具体的な目標」をたてる
8 やれば出来ると信じる
9 決してあきらめない
10 簡単に変わったなんて思うな